山登り(亀岡市 牛松山編)+寺社巡り(亀岡市 愛宕神社・金刀比羅神社編)

やっと暖かくなってきましたが、今日は日曜日なので道路は混み混みです。警察車両も走り回っているので、実家の裏山でもある「牛松山」に登ってみることにしました。山頂付近には「金刀比羅神社」があり、登山口付近には「愛宕神社(元阿多古神社)」があります。

まずは実家にバイクを駐めて、山登りスタートです。

正規の登山口は「愛宕神社」の北側みたいなのですが、子供の頃登っていた所(神社の南側)から登ることにしました。

「愛宕神社」の麓側は「和らぎの道」という遊歩道になっているのですが、そこから少し登ったところに「山の神さん」の祠の跡がありました。昔は小さい祠があって、その前で父親等の森林関係者が毎年宴会をやっていました。

登り始めて8分くらいで送電鉄塔がありました。

送電鉄塔から3分くらいで、正規の登山ルートと合流しました。私は「鉄塔」方面から登りましたが、「国分」方面に行くと「愛宕神社」の北側に降ります。右の水色の物体は熊除けの鐘です。ここで鳴らしてどのくらい効果があるのかわかりませんが、この辺りでも熊が出るんですね。わたしは熊鈴を持っているので、ここからは鳴らしながら登りました。

テレビの中継塔に到着しました。先ほどの分岐点から30分くらい登っています。この中継塔はわたしがまだ実家に居た頃にできたはずですが、実物を見たのは初めてです。

中継塔から3分くらいで「牛松山」山頂に着きました。実家を出てから約45分かかりました。周囲は林状態で景色はほとんど見えません。もうすぐお昼だったのですが、とりあえず「金刀比羅神社」に参拝してから、ここに戻って昼食にすることにしました。

山頂から3分くらいで、おそらくテレビ中継の電波受信用と思われる施設に到着しました。「金刀比羅神社」は少し右手に山を降ったところにあります。

「金刀比羅神社」に到着しました。実家から約50分かかりました。山頂付近にあるのに立派な社殿でした。昔の人の信仰の力を感じます。

「牛松山」の縁起と「金刀比羅神社」の御朱印について書いてありました。わたしは千歳町の実家から登ったのですが、「金刀比羅神社」は保津町が管理しているんですね。

保津町は「保津川下り」の乗船場があるので有名ですが、「角倉了以」が丹波山地の木材を筏にして、保津川経由で京都に運んだことから、海運の神様として祀られたのでしょう。今は「保津川下り」の安全を見守る神様でしょうか。

本殿の右隣に休憩所のような建物があり、木製の船(模型)が飾られていました。さすがは「金刀比羅さん」ですね。

「金刀比羅神社」の御神木は「マテバシイ」のようです。この立て札の後ろの木がそうだと思います。木の種類名がカタカナなのが不思議だったのですが、漢字名はないようです。

再び「牛松山」山頂に戻り、管理的なベンチで昼食を摂りました。景色が良ければうれしいのですが、あいにくの林状態です。出会ったハイカーさんの話では、「金刀比羅神社」の先に進むと見晴らしの良い場所があるそうです。

帰りは本来の登山道を降りました。「愛宕神社」の手前に「簡易水道」の施設がありました。父親が元気な頃、「亀岡市水道局」の委託を受けて「簡易水道」の水量等の点検業務をやっていました。だいたいの場所は知っていましたが、実際に見たのは初めてです。

「愛宕神社」の北側の鳥居です。南側にも鳥居があり、実家は南側が最寄りなので、こちらは馴染みが薄いですね。「愛宕神社」は「元阿多古神社」と呼ばれています。「元伊勢神宮」もあちこちにありますが、現在の場所が定まるまでの神社だったのでしょう。

滝修行用の滝でしょうか。説明看板らしきものの字が消えていてわかりません。これを滝と言って良いのか疑問ですが、先日行った神戸市の「高取神社」にある「高神の滝」はこれよりショボかったです。

本殿です。本殿は鎌倉時代に建立されたとされる重要文化財なので、社殿を建物で覆っています。

わかりにくいですが、中に見える古びた建物が、本当の社殿です。

本殿の向かいには舞台があります。神楽とかやるんでしょうか。わたしの記憶にはありませんけど・・・。

御神木です。左側が少し裂けているのですが、落雷とかに遭ったのでしょうか。

南側の鳥居です。こちらの方が正門という風情ですね。

実は「牛松山」は友人のM氏が登りたがっていて、一緒に行く約束をしていたのですが、約束破りをしてしまったので謝らないといけませんね。

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